翳りゆく部屋




 もう随分と昔のことです。

 テッド君がマクドール家に連れてこられたのも、こんな少し肌寒い、薄曇りの昼下がりでした。
 テオ様のあとに続いてヒョッコリと戸口に現れたその少年は、人なつっこうそうな、少しイタズラそうな赤茶の瞳が印象的でした。
 一週間も経たない間に彼は家に馴染み、何より年格好の近い坊ちゃんと打ち解けじゃれ合う様を、テオ様も私も微笑ましく眺めていたのでした。

 そんな彼がやってきて半年ほど過ぎた頃、夕食を共にして、テッド君を見送ったあとで、
「また会えるかな。」
 坊ちゃんがぽそりと呟いたのです。唐突なその言葉に呆気にとられていた私を見上げて、

 もう会えないような気がして

 いつになく、拗ねたように少し口を尖らせて。

 あんなにもテッド君の側に居るのですから、考えてみれば当たり前の事なのでしょう。坊ちゃんも、テッド君の笑顔にどこか儚げな空気を感じていた。そのことが私にはくすぐったいような、ひどく淋しいような気がしたのを覚えています。



 あの戦争が終わってから五十余年。
 命の続く限り坊ちゃんの旅のお供をさせていただこうと心に決めていたのですが、さすがにそれももう叶わないようです。去年の暮れから私が体調を崩してしまい、この静かな村に腰を落ち着けてはや一年。再び冬が巡り来ようとしています。
 次の旅に出ることは出来ないとどこかで悟ってしまっている所為か、このところ、昔のことをよく思い出します。その中でもとりわけテッド君の居た頃の思い出ばかりが蘇るのは、きっと近頃の坊ちゃんにテッド君がだぶって見えるからなのでしょう。
 特にこの半年、目に見えて私がやつれ始めてからというもの、坊ちゃんは前以上に明るく、活発に、そして内向的になって行ったのでした。
 きっとあの方には私の死期が判るのでしょう。
 そんな勘の鋭さが気の毒で。
 私を心穏やかに逝かせてくれようというお心配りか、悲しそうな素振りを全く見せないあの方の笑顔が、ありし日のテッド君を思い起こさせるのでした。


 床に伏してうつらうつらしているうちに、あたりは大分薄暗くなっていました。
 外からは夕食を作る和やかな匂い、窓からは茜色の斜陽が射しています。
 坊ちゃんは枕元の窓辺に置いた椅子にもたれて、夕日を見ていました。
 その横顔があまりに穏やかで、話しかけるのがはばかられるような気さえしたのです。



 ぼやけた目で坊ちゃんを見ていると、不意に、本当に唐突に気付いてしまいました。

 もうすぐ自分は逝くのだと



「グレミオ。」

 はい、坊ちゃん。

「ねぇ、グレミオ。」

 どうしたのですか?

「今日の夕飯、何にしようか?」

 えーと、そうですねー・・・。
 じゃあ坊ちゃんの好物の、グレミオ特性のシチューにでもしましょうか。

「グレミオ。」

 でも、今から作っても夕飯には間に合いませんね。

「夕日がきれいだよ。」

 そうですね。
 こんな夕日は久しぶりですね。

「グレミオ。」

 今日はやけに私を呼びますね、坊ちゃん?

「グレミオ。」

 ・・・。


「夕日、沈んじゃったね。」

 秋の陽は、本当に沈むのが早いですね・・・。

「グレミオ。」


 ・・・。
「グレミオ。」

 あ、坊ちゃん。
 すいません、ちょっと微睡んでしまったみたいです。

「グレミオ。」
 どうしたんです?
 今日は何か嬉しいことでもあったのですか?

「・・・グレミオ。」

 そんな嬉しそうな顔で、そんな辛そうな声を出しちゃいけませんよ。

「グレミオ。」

 ・・・坊ちゃん?

「・・・寝ちゃダメだよ。」


 ・・・。

「グレミオ。」



「グレミオ。」



「グレミオまで、オレのことひとりにするのか?」



「オレを残して、逝ってしまうのか?」



「ねぇ、グレミオ。」



「一生のお願いだよ。」



「逝かないでよ。」



「オレを、ひとりにしないで・・・。」



「・・・。」



「・・・グレミオ・・・?」




    一度はあなたのために捨てた命だから

    あなたのおかげで拾えた命だから

    この命の尽きるまで あなたを守ろうと思った






2002年5月

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